メイン | 2007年09月 »

2007年08月 アーカイブ

2007年08月06日

日露戦争

日露戦争といったらアジアの国が始めて欧州列強の国に勝ったという事でとても大きな意義があります。

日露戦争(にちろせんそう1904年(明治37年)2月6日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と中国満州(現在の中国東北部)を主戦場として発生した戦争である。

戦争の決着をつけたのは海戦であった。バルト海沿岸を本拠地とするロシアのバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)は、旅順(旅順陥落の後はウラジオストク)へ向けて地球を半周する航海を続けてきたが、5月27日-5月28日の日本海海戦において、連合艦隊はバルチック艦隊に完勝した。この結果、日本側の制海権が確定した。

ロシアでは、相次ぐ敗北と、それを含めた帝政に対する民衆の不満が増大し、1905年1月9日には血の日曜日事件が発生していた。日本軍の明石元二郎大佐による革命運動への支援工作がこれに拍車をかけた。日本も、当時の乏しい国力を戦争で使い果たしていた。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年10月に締結されたポーツマス条約により講和した。

日本は19か月の戦争期間中に戦費17億円を投入した。戦費のほとんどは戦時国債によって調達された。当時の日本軍の常備兵力20万人に対して、総動員兵力は109万人に達した。戦死傷者は38万人、うち死亡者8万7,983人に及んだ。さらに、白米を主食としていた陸軍の野戦糧食の不備により、脚気患者が25万人、病死者は2万7,800人に上った
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

たしかに日本の被害は大きかったけど勝つことに意義があるのではないでしょうか。

About 2007年08月

2007年08月にブログ「立石 の日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

次のアーカイブは2007年09月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34